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遺品整理から死を考える〜安楽死そのⅠ〜

こんにちは!

生活支援サービスのグラッチェです。

 

遺品整理の現場では(死)というキーワードが切り離せません。

生前整理、住人の亡くなった空き家整理、終の住処への引っ越し、孤独死などなど。。。

ここ数年で(死)をとても身近に感じるようになりました。

 

普段の生活では自分の(死)について考える機会はなかなかないと思いますが、もし(縁起でもないですが)突然死してしまった時を想像してもらえれば残された人が悲しむと同時に色々困ることがわかると思います。

保険など大切な書類の場所、デジタル暗証番号、臓器提供のこと、ペットの譲渡先、などなど。

 

普段から伝えていなければ残された遺族は途方にくれてしまいます。死ぬ立場からしても心残りがある死に方は避けたいですよねぇ。

そこで役立つのが生前整理。

(死)の準備をしている・していない、ではスムーズさが全く違います。

 

死の準備というと、議論にあがるが日本では違法な(安楽死)があります。

 

安楽死と尊厳死のちがい

〜以下引用含む〜

 

「尊厳死」と「安楽死」

我々が一般的に耳にする場合と、専門家が用いる場合とで若干異なっています。

 

まず、前者の一般的な区分から見ていきましょう。

不治の病気や重度の障害など、患者本人にとって極めて苦痛で、回復の見込みも無いような場合、時として次のような措置が取られる場合があります(この場合倫理的な問題は別とします)。

1)延命治療を休止する。
2)患者の命を絶つ行為をしたり、自殺を幇助(ほうじょ)する。

一般的には

1)の方を「尊厳死」

2)の方を「安楽死」と呼ぶ傾向があるようです。

これに対し、専門的に用いられる時は、「安楽死」自体が1)と2)両方の意味を持っている場合がしばしば見受けられます。

すなわち、「安楽死」を「消極的安楽死」と「積極的安楽死」の二つに分類するという考え方です。

つまり、一般に「尊厳死」と呼ばれているものを「消極的安楽死」と呼び、「安楽死」と呼ばれているものを「積極的安楽死」と呼ぶということです。

また、「尊厳死」という語には、先の1)の意味以外に、もっと広い意味もあります。すなわち、死を迎える本人が誇りをもって、あるいは個人の理念に従う形で死ぬということです。これは延命するかしないかという問題ではなく、個人の納得する形であれば、あらゆる場合が「尊厳死」と呼び得るということになります。

 

 

 

本人にしてみれば、これ以上苦しみたくないという思い。

 

愛する家族側からすれば、どんな姿になっても一日でも長く生きていてもらいたい気持ちもあるが、壮絶な痛みに苦しんでいる姿は見ていられない。。。

 

生死は本当に難しい問題です。

 

(安楽死)は日本では認められていませんが、世界ではスイスを始めとするヨーロッパ諸国の数カ国、アメリカの数州などで認められています。

2017年、オランダでは過去最高の6585人が安楽死を遂げたという記事も読みました。

 

日本では7割の方が安楽死に賛成意見だという統計もあるそうですが法制化されていません。

日本では仏教の教えに反するから?人権問題?医療関係者の利権がらみ?など色々な憶測がされていますが議論にあげることも難しい状況なのです。

 

 

この中でも外国からの安楽死を受け入れているのはスイスにある「ディグニタス」という団体だけだといわれています。

 

著名人でも橋田壽賀子さんや田嶋陽子さんなどが安楽死を希望していると公表しています。のちに橋田壽賀子さんは安楽死を諦めた、との報道がありました。

考え直したのではなく諦めた、と。

 

自立した責任感の強い女性が望む安楽死の魅力とは⁇

 

調べてみると、日本人が考える安楽死のイメージと実際は違うようです。

 

(例えば動物保護センターで殺処分される犬猫にしても「安楽死させて下さい」と飼い主が持ち込みますが、実際は苦しいガス室で、すし詰め状態で苦しみながら殺されています。安楽死ではなく、ガス殺しているのです。病院で行われる注射での安楽死では予算が足りないからです)日本はまだまだ動物愛護後進国です!

 

 

 

スイスのディグニタスでは、安楽死を「自殺幇助」という形で行っています。あくまで「幇助」ですから、医師は直接的な行為はせず、死ぬことができる薬液をコップに入れ、「これを全部飲めば死ねますよ」と言って安楽死を望む人に渡すようです。
 安楽死を望む人はそれを飲み、自殺をするのです。飲み切らないと死ねません。一瞬では死ぬことができないので、途中で飲めなくなる人もいると思います。中途半端に毒を飲んでしまったら、死ねない上に悲劇が待っていることでしょう。「死にたい」とその場で言っている人でも、実際に死ぬとなればどんな気持ちになるかは、その時その人にしか分からないものです。
 次にアメリカにおける安楽死の方法をご紹介します。アメリカでは外国人の安楽死を受け入れていないので、日本人は受けることができません。また、アメリカといっても広いので州によっても違いますが、死ぬための点滴を用意してもらい自分の意思で点滴を開始して自殺するなどの方法があるようです。
 人はこのような死に方に光を見いだすことができるのでしょうか。自殺幇助や殺人では、暖かい空気に包まれた中で死ぬことができるはずもなく、「安楽死は安楽に死ぬことができない死」であることがお分かりいただけたと思います。
 続いて、「安楽死は人に迷惑をかけない死に方か」という点について述べたいと思います。私は違うと考えます。なぜなら、医師は人の命を助けたいと希望し、その職業を選択しているからです。その医師に安楽死を望むということは、自殺幇助・他殺という「殺」行為をさせることです。医師も人です。これは迷惑の極みです。

 

〜来週のⅡに続く〜